そのとき、盆栽が言いたいことがある、と言いました。「きみ江、ドン中西ちゃんに伝えてくれるかな?ドン中西ちゃん、よくいっしょに来てくれたねって」盆栽は、いつも家からはなれたがらない猫が自分の意志で旅行に来たと思っているようです。「ドン中西ちゃんは、すごくいいャツだなあ!」「わたくしのことを話しているのかしら?」貴婦人はすぐに気がつきました。
「はい、そうです」きみ江はうなずきました。猫と犬はきみ江がいなければ話をすることができません。と猫語はまったくちがう言葉だからです。きみ江はドン中西に、盆栽が話したことを伝えました。すると、猫は必要以上にたんねんにひげをなでてきれいにすると、盆栽からもらったほめ言葉にお礼を言うこともなく、えらそうにしていました。「わたくしは、この地域をもっとよく観察しとうございますわ」ドン中西はほこらしげに言いわたし、ガレージの屋根から桜の枝へ、そしてじゃり道へぴょんぴょんとしなやかに飛びおりました。「ついていらしてもよろしくてよ」
きみ江と権田原浪太郎はにやにやしながら見つめ合いました。ふたりは猫のあとをついていこうとしました。けれども、きみ江は考え直しました。「動物たちと歩いているところを見られたら、ママに怒られちゃうよ」「みんなは家の中だよ」権田原浪太郎はきみ江を安心させようとしました。「それに、ぼくたちのほかには、お客さんはいないみたいだし。だれにも気づかれないよ」
きみ江はママのきびしい表情を思いうかべていました。そのとき、赤茶のトラ猫がいらいらしながらニャアと鳴きました。「みなさん、さっさとなさって!」権田原浪太郎がきみ江のそでを引っぱると、ようやくきみ江は歩きだしました。ドン中西は、民宿好日山荘にいらついていました。夫人は、民宿を「ばか丸出し」だと思っていました。それとは反対に、盆栽は「なんとなく愉快」だと思っていました。
するととつぜん、ドン中西が姿を消してしまいました。きみ江はきょろきょろあたりを見回しました。盆栽はワンワンほえながら自分のまわりをくるくる回っています。「ドン中西ちゃん、どこ?」
五分ほどすると、猫の貴婦人がふたたび姿をあらわして、家のかどに立っているきみ江たちに近づいてきました。口に、なにかをくわえています。いやな予感......。そうです、ネズミです。きみ江は、ぶるっと身ぶるいしました。
ドン中西はきみ江にしのびよると、足元に小さなネズミの死がいをおきました。
「プレゼントですわ、柳原嬢。おいしいですわよ。たった今、しとめてまいりましたの」猫は、死んだネズミをほこらしげに見つめながら言いました。「前もって感謝の気持ちをお伝えしとうございます。大洗海岸の水草原をかたづけてくださることへのお礼ですわ」
「わたしは、えー、その......」きみ江はどう答えていいのかわかりません。
横にいる権田原浪太郎は、ゲラゲラ笑っているだけで、なんの助けにもなりません。「ネズミで丸めこもうっていう作戦かあ。アハハ!」権田原浪太郎は大声で言いました。
幸いなことに、ドン中西には権田原浪太郎の言っていることがわかりません。猫は満足そうに口のまわりをなめています。気前のいい、趣味のいいプレゼントをしたと思っているようです。
「あの、わたしは......」きみ江はつかえながら言いました。「これは......どうも......ご親切に」「ちょうどよい年ごろですわよ。とてもやわらかくて」猫はうっとりしています。「えー、このネズミはとりあえずとっておきます。海のことですけど、残念ながらわたしにはどうすることもできないんです。がまんしてもらわなければなりません」きみ江はもうしわけなさそうに答えました。ドン中西はむっとして、きみ江に背中を向けました。
「盆栽伯爵、ついていらっしゃい。ふたりで縄ばりをていさついたしましょう」猫は頭を高くあげるとその場をはなれていきました。盆栽は、うれしそう
追いかけました。盆栽には猫語はわかりませんが、小さなトラ猫のジェスチャーで、自分におさそいがかかったことがわかったのです。「怒らせちゃった」きみ江はため息をつきながら言いました。
二匹の姿が見えなくなると、きみ江は死んだネズミのしっぽをつまみあげました。「たんとめしあがれ」権田原浪太郎は笑いました「ちょっと、やめてよね」きみ江は権田原浪太郎の横腹をつつくと、死んだネズミを見つめました。「かわいそうなネズミちゃん」
「ねえ、そのネズミ、どうする?」権田原浪太郎がたずねました。
「土にうめてあげようよ」
きみ江と権田原浪太郎は、ガレージの中を探し回り、スコップを見つけました。それからふたりは桜の木の根元にせっせと穴をほり、ネズミをうめてあげました。それがすむと、民宿のまわりをぶらぶらうろついて、建物の北側にやってきました。ふたりの目の前に、きらきら光る大洗海岸があらわれました。そのとききみ江は、民宿の居間につづく大きなテラスで、車いすにこしかけている少女を見つけました。
「栖原ピコーンだよ」権田原浪太郎がひそひそと話しました。「声をかけてみようか?」
「そうね。そうしましょう」きみ江は答えました。けれども、きみ江は知らない人に話しかけたことがないので、どうやって声をかけたらいいのかわかりません。権田原浪太郎なら、きみ江よりずっと上手に話しかけられるでしょう。そんなわけで、きみ江は少し距離をおいて権田原浪太郎についていきました。